2015年8月24日月曜日

#4. 肌に赤みの差したゴシック――Okkervil Riverの音楽とアルバム・アートワーク

Down the River of Golden Dreams

これまでに7枚のアルバムを出しているアメリカのインディーロックバンドOkkervil River(オッカーヴィル・リヴァー)は、すべてのアルバムのアートワークをWilliam Schaff(ウィリアム・シャフ)という画家に依頼している。バンドのリーダーであるWill Sheff(ウィル・シェフ)が名前のよく似た画家と出会ったのは2000年代のはじめで、シンガーのウィルも画家のウィルもまだ20代だった。共通の友人の結婚式で出会った夜のことを、ウィル・シェフは「ウィリアム・シャフのアートワークについて」というエッセイで、こんなふうに書いている。

「ぼくたちはエルジェのコミック『タンタン』シリーズへの愛情を語り、友人や家族について語り、これまで住んできた土地について語り、そして二十代の後半にさしかかっても芸術を追求するのがどんな気分かということについて語り合った――それは仲間がどんどん定職に就く時期であり、とつぜん、おののきながら、受け入れる時期でもあった、だれもあえてそれにお金を払おうなどとは思わないことを自分がやっているのを、そしてそれでもなお、それだけがやりたいことだからという理由で、無謀にも、勇敢にも、進みつづけることになるのを」

2002年にリリースされた1枚目のフルアルバムからかれの絵が使われた(『Don’t Fall in Love With Everyone You See』)。動物の骨と人体と楽器が奇妙に混ざり合ったキャラクターは、奇怪ではあるけれど、ユーモアも感じられる。以降、ミノタウロスも連想させるような羊のキャラクターと奇妙な生き物たちの晩餐会(『Black Sheep Boy』(2005))や、獣の頭部を持った人物が向かい合っている図(『I Am Very far』(2011))、巨大な「鳥男」が家を背負い、中西部の田舎町を見下ろしている図(『The Silver Gymnasium』(2013))など、オッカーヴィル・リヴァーの顔となるアートワークは、アメリカのゴシックな表情をみせている。

Don't Fall in Love With Everyone You See


Black Sheep Boy: Definitive Edition


I Am Very Far


Silver Gymnasium

アートワークに呼応するように、ウィル・シェフの書く曲は世の不気味さや残酷さに満ちている。シェフは歌う自分と歌詞の主人公のずれに意識的なシンガーで、つねに歌い手が語り手に憑依しているような側面があるのだが、憑依するキャラクターはたいてい、どこかで道にはぐれてしまったような人間だ。ウィル・シェフは、求め合いながらも互いへの負い目から断絶した母娘になり(「Red」/Live)、独りで迎えたクリスマスに別れた恋人が出演するテレビを見る男になり(「Calling And Not Calling My Ex」/Live)、みずからの命を絶った娘の日記を盗み見る父親になり(「Savannah Smiles」/Live)、血を欲してやりきれない夜を迎えた殺人鬼になる(「For Real」/Live)。

だが、歌の世界がただ沈鬱になることはない。2007年にリリースされたアルバム『The Stage Names』には翌年にリリースされた『The Stand Ins』という姉妹編があり、ジャケットも対になっている。上下に並べてみれば、アルコールで身を持ち崩した人物が手を伸ばし、沼の底から伸びたその手が、陽の光を浴びている。オッカーヴィル・リヴァーの楽曲は、人生の暗部にすっかり取り込まれた人間ではなくて、そこで苦闘する人間を歌う。エモーショナルな声は、ひたすら自分について歌うならいたたまれないだけかもしれないが、べつのだれかに身をやつしたひとの情熱は、苦境に立たされたそのキャラクターを鼓舞するように響くものだ。

The Stage Names
STAND INS, THE

3枚目のアルバム『Black Sheep Boy』(2005)リリースから十周年の節目におこなわれたインタビューで、ウィル・シェフは言っている。「あるひとは邪悪なものと戦い、子供たちに教え、世界を救う。ぼくは寄生虫みたいな芸術家気取りのくそったれだ。いったいなにができる? できれば、世の中を面白くして、ほんの少し苦痛を和らげられればと思っている。悲しみと苦痛と不当さはまぎれもない現実だ。だれにとっても事はうまく運ばない。人生はすごく不快なものだ。もしぼくにできることがあるとすれば、その重荷を軽くすることくらいだろう」

オッカーヴィル・リヴァーの楽曲とジャケットデザインの親密な関係を端的にしめすものとして、2枚目のアルバム『Down The River Of Golden Dreams』(2003)を挙げたい(いちばん上の画像)。ハモンドオルガン、ウーリッツァー、メロトロンといった鍵盤楽器がアルバム全体に、ほんとうに水のように流れつづけているのが特徴だ。タイトルの元になっているのはジャズのスタンダードの曲名だが、「river of golden dreams(黄金の夢の川)」というのはこれらの楽器の音のことではないか、と感じる。海の生物と人間が混ざり合ったキャラクターがあしらわれたブックレットを取り出して広げれば、この人物は靴のかわりにボートを履いて波乗りしている。しかしかれは完全に血の通った生き物の世界から離れてはいない。顔と手に差した赤みがその証拠で、別離や裏切りや戦争が歌われる楽曲のなかにも、この赤みがある。たとえば「Blanket & Crib」の語り手は、母親から与えられた言葉を引き合いに出しながら、だれかにこう助言している。

「そしていつだったか母が言った、『息子よ、これだけは覚えておいで、だれがなにをしようとも、かれらもかつては子供だったこと、おっぱいを吸ってよだれかけをしていたということ、毛布にくるまってベビーベッドにいたことを。だからあなた自身の内側に手を伸ばして、まだ助けを求めている部分を見つけ出し、それをまわりのひとの内にも見つけ出せれば、間違うことはないからね』だから僕はそうしようと思ってきた」

――みじめでも悲惨でも、すぐ幽霊や怪物になることはないのだ。




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"Love To A Monster"
Okkervil River

                                 

2015年8月15日土曜日

#3. Jonas Mekasの映画『ライフ・オブ・ウォーホル』の、いまだ失われざる夏について

ライフ・オブ・ウォーホール [DVD]

この夏、ジョナス・メカスの映画『ライフ・オブ・ウォーホル』(1990)を、プロジェクターとスクリーンのあるところでまた見る機会に恵まれた。ジョナス・メカスの映画は、同じ作品を何度見ても、はじめて見るようにしか見られない。たとえば僕ならいつも十五分かそこらは必要で、それまではなにかと気を散らされながら見ている。でもそのあいだに映画はこちらの知覚の通路を通って入り込み、内側からパースペクティヴを変化させているらしい。数十分経つころには、なんともいえない感覚になる――撮影と録音と編集をほぼひとりで手がけたこのひとの生活と、それを見つめる見方が、気づいたらこちらにもわかっていた快感、というか。しかし一度習得すればその感覚に到達する時間が早まるというわけではない。いつも、はじめて見たときの数十分は必要で、もう25年も前の映画だといえばたしかにそうだが、この映画を見るのはつねにはじめての体験なのだ。

1944年に祖国リトアニアを脱出し、ヨーロッパの難民収容所を転々として、1949年にニューヨークに立った詩人ジョナス・メカスは、ボレックス(16ミリカメラ)を手に、身の回りのことを記録しはじめた。メカスの映画はすべて、じぶんと友人の生活をうつしたものだ。『ライフ・オブ・ウォーホル』(原題は「Scenes From The Life Of Andy Warhol(アンディ・ウォーホルの人生からの断片集)」)は、アンディ・ウォーホルの回顧展にあわせて制作された35分ほどの映画で、メカスの生活がウォーホルと触れ合った場面を中心に展開する。

冒頭は、ウォーホルがプロデュースした、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド最初期のライヴ映像である。音は、おそらくは同録の、ひずんで、くぐもった「I’ll Be Your Mirror」。バナナで有名なアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』でその曲のもっとクリーンなヴァージョンが聴ける。映画での「I’ll Be Your Mirror」は、まもなく淡々とギターノイズが鳴るジャムに移行していって、あとのサウンドトラックは終わりまでほとんどこのノイズである。





例外的に中盤で差し挟まれる曲がNitty Gritty Dirt BandによるLiving Without You」だ。そのときカメラは海岸をとらえていて、砂浜、少女と戯れる犬、岸に寄せる波とともに、この曲が流れる。「あなたなしで生きていくことを考えると、とてもつらい。孤独な日々の空っぽな気持ちに向き合うときがきている」という歌詞をもつこの曲は、もちろんアンディ・ウォーホルに宛てられていると考えることができるが、ウォーホルを追悼するという側面を脇に置いて、うつしだされる映像と曲にだけ注意を傾ければ、悼んでいるのはかれのことだけではないとわかる。記録者メカスとウォーホル、かれらを取り巻く友人や犬や砂や波、いまはもうないある日の夏の光景、その光景を成り立たせているいっさいを偲んでいるのだ。





映画を見るわれわれが目にしているわけだから、この光景はすっかり失われているわけではなく、その過去の光を感光した物質が残っている。近作『幸せな人生からの拾遺集(The Outtakes From the Life of a Happy Man)』(2012)のある箇所で、メカスはだいたい次のようなことを言っている。わたしの映画は記憶だと言われるが、これは記憶ではなくて現実だ、記憶もまた失われるけれども、思い出がなくなってもなお残るイメージ、それがこれらの映像だ、と。言い換えれば、かれの映画は、ある光景を、一度は失われなければ感じ取ることが困難なはずのニュアンスをともなって、現実に見せてくれる。





2015年のこの夏にあらためて『ライフ・オブ・ウォーホル』を見て考えるのは、まだ失われていない楽園をひとは楽園と感受できるのか、ということだ。たとえば1979年にメカスが幼い娘に宛てて撮った映画のタイトルは「いまだ失われざる楽園、あるいはウーナ3歳の年」だが、うっかりすると「Paradise not yet lost(いまだ失われざる楽園)」という言葉を、矛盾のように感じてしまう。われわれが楽園だったと感じるのは、たいてい、そこが失われてからだ。幸福は失われないとそれと分からない……。しかし、映画を通じて失われたものを見るひとが直感しているのは、「楽園はつねに失われた状態にある」という考えでは十分ではない、ということだ。

そういう考えを受け入れるだけならば、状況はずっと悪いままだろう。この映画を見る必要があると感じたひとは、きっと、過去か未来にしか楽園がないという考え方がもたらす日々のままならなさを感じている。一方、映画が指し示す楽園はいま、ここにある楽園にほかならない。もし、そんなものを見出すことはできない、という考えが支配的になって、そこを立ち去らざるをえなくなれば、この映画は、つぎに目指す場所の素晴らしさを語る言葉ではなく、離れがたさを語る言葉のほうに耳を傾けるよう、うながすだろう。

                 ***

イギリスに生まれ、1990年にニューヨークに移り住み、ブラック・リップスという前衛演劇グループに属し、1995年にアントニー&ザ・ジョンソンズというバンドを率いて音楽活動をはじめ、ルー・リードや小野洋子らと交流し、2005年にリリースされた2枚目のアルバム『I Am A Bird Now』のジャケットにヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲「Candy Says」にその名が出てくるキャンディ・ダーリンの写真をあしらった……アントニー・ヘガティというシンガーは、この経歴からわかるように、ニューヨークの「アンダーグラウンド」な芸術の系譜につらなるアーティストだ。舞踏家・大野一雄の写真がジャケットになったアルバム『The Crying Light』2009)に収録されたシングル「Another World」で、アントニーは、地球にいながらにしてそこを後にしつつあるわれわれになって歌い、未来形をつかって現在の世界を捉えなおしている。

Crying Light

「ここではない場所にいかなくてはいけない/そこに平穏はあるだろうか/ここではない世界にいかなくてはいけない/ここはほとんど失われつつある/(…)/海が恋しくなるだろう/雪が恋しくなるだろう/ミツバチが恋しくなるだろう/生まれ育つものが恋しくなるだろう/木々が恋しくなるだろう/太陽が恋しくなるだろう/(…)/風が恋しくなるだろう/風はずっとわたしに口づけしてくれていた」
——「Another World」


2015年8月6日木曜日

#2. 呉明益の連作短編小説『歩道橋の魔術師』のなかで、風景をつたえる人々

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)


呉明益(ご・めいえき/ウー・ミンイー)による短編集『歩道橋の魔術師』(天野健太郎訳、白水社、2015)では、子供時代を1980年代前後の台北の商店街「中華商場」に暮らした人々が、30年ほどの時を経て往事を語る。各エピソードを一冊の本にまとめる「背」のようになっているのが、歩道橋で手品の道具を売る魔術師だ。それぞれの短篇の語り手は異なるのに、魔術師はほとんどすべてのエピソードにあらわれる。これはどういうことかといえば、魔術師を中華商場と分かちがたく結びついた存在と考え、魔術師にまつわる思い出を聞こうと取材する「聴き手」がいるということだ。

中華商場は1992年に解体されている。そういう意味では、スペインの作家フリオ・リャマサーレスによるこちらも忘れがたい連作短編集『無声映画のシーン』(木村榮一訳、ヴィレッジブックス、2012)に通じるところがある。少年時代を過ごした炭鉱町オリェーロスは炭鉱の閉鎖とともに荒れ果て、語り手のフリオはかつての風景を、数枚の写真を手がかりに語ることで蘇らせていく。だがフリオはその作業を基本的にはひとりでやる。

無声映画のシーン

いっぽう『歩道橋の魔術師』の語り手の多くは、中華商場というおなじ場所で子供時代を過ごしたひとを聴き手にして、商場の風景を立ち上げていく。「知ってるわよね。わたしは高校三年生になるまで、父といっしょにくらした」(「金魚」)「うちの古本屋のこと、もちろん覚えているだろう?」(「唐さんの仕立屋」)……視点は違うけれどおなじ時代と場所を過ごしたひとと話をする。過去はこうして、ひとりでは思いがけない細部を見出されてあらわれる。

この小説におけるひとの死は、気づいたら踏み越えているような軽さで、よく知っていた人々があっさりあちらに行ってしまうが、それぞれの語り手には、こちらにとどまり再会する同郷のひとが残されている。そのために生じる記憶の行き違いやほころびは、そのまま中華商場の失われたにぎやかさになる。失われたにぎやかさのためには、すれ違っていた人間を示せば十分なのだ。

                  ***

初夏に劇場で侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『恋恋風塵』(1987)を観ていたとき、スクリーンのなかにいるひとの髪が揺れたり、線香や爆竹の煙が流されたりしていくのを目にするたびに、ひとがそこにうつっていることや、そのひとの振る舞いが、そこに吹く風をほかにないやりかたでこちらにつたえていると感じた。人間がほかのなによりも偉いから人間が映画にうつっているべきだというのではなくて、見る者に風景をつたえる回路のようになった人間がそこに立っている。

恋恋風塵 -デジタルリマスター版- [Blu-ray]

読み出してすぐ『恋恋風塵』を思い出したのは、それが1980年代の台北を舞台にしているからというだけではない。最初の短篇「歩道橋の魔術師」で、靴屋の息子が歩道橋で靴の中敷きと靴ひもを売るときのことをこう語る。「靴ひもは鉄の欄干に結ばれたまま、風に吹かれてひらひらと揺れた。今思い出しても、それはとても美しい光景だった」靴屋の家に生まれて家業を手伝う少年は、『恋恋風塵』のなかの人物たちがそうだったように、歩道橋に吹いた風をつたえているのだ。

こうして、あらゆる行動が読者を商場に案内する。ひとたび回想という形で語られたならば、何事もたんなる個人的な振る舞いではなくなるのだ。生きているからこそ抱くメランコリーや、寓話に近づいていくような魔術的な場面は『歩道橋の魔術師』の魅力だが、それ以上に気になるのは、たとえば当時、ケンカウナギというあだ名をもつ厳しい父親のいる恋人と逢うのに、どんな裏口や裏路地がどんなふうにつかわれたか、といったことだったりする(「ギター弾きの恋」)。

最後の短篇「レインツリーの魔術師」で、呉明益を思わせる「ぼく」が侯孝賢の『恋恋風塵』に言及する。その映画をぼんやり思い出しながら読み進めてきた僕は映画の題名が出てきただけでどきっとしたが、ここでこの映画は『歩道橋の魔術師』と小説の外の「現実」に連絡をつけるような通路になってもいて、さらに驚かされた。

現実に連絡をつける。おそらくこれがマジックのこつだ。短篇「光は流れる水のように」では、「わたし」の旧友・アカがつくったこの上なく精巧な模型が登場する。子供時代に過ごした商場をそのまま縮尺したものである。模型は風変わりなやりかたで、それを見る「わたし」に過去を捉えなおさせる。このアカの模型のように、ひとを動かすマジックは多分、トリックがどこかで現実に根ざしたマジックだ。