2016年3月24日木曜日

#6. 『ジェーンとキツネとわたし』ーーかつて、本は避難所だと思っていた

ジェーンとキツネとわたし

『ジェーンとキツネとわたし』(絵:イザベル・アルスノー、文:ファニー・ブリット、訳:河野万里子、西村書店、2015年)は、2012年に刊行されたカナダのグラフィック・ノベル(コマ割りとフキダシと文章で構成されたコミックのジャンルのひとつ)の翻訳である。

主人公はモントリオールの学校に通うエレーヌという少女で、年はおそらく十代のはじめごろ。『ジェーンとキツネとわたし』は、灰色を基調にした風景からはじまる。冬のモントリオールの街を引きでとらえた絵は、校舎を歩くエレーヌの目線まで降りてゆく。校舎のあらゆる場所で子どもたちが集まって話をしているけれど、彼女には居場所がない。学校の二階のトイレに入ると、ドアに落書きがある。「エレーヌは体重100キロ!/……それに臭い!」通りでバスを待つとき、「なんだか死ぬのを待っているような」気分になる。


この本のページが色づくのは、彼女がバスに乗り、トイレに入るときにも小脇に抱えていた本を開くときだ。エレーヌはシャーロット・ブロンテの小説『ジェーン・エア』を「まだ半分しか読んでいないけど、今までのなかで最高にいい本」だと感じている。『ジェーン・エア』の世界に入ると、そこは様々な色に満ちている。ここでは、現実の生活がモノクロで、小説の世界がカラーで描かれている。

ジェーン・エア (上) (新潮文庫)



でも本は、毎日の避難所として優秀とはいえない。エレーヌは学校と家の片道で「ふつうはだいたい十三ページ」読めるけれど、いつもそれだけ読めるわけではない。うしろに座っている子たちがひそひそ笑う声が聞こえてくると、「自分の心臓がドキドキいう音ばかり気になって」集中できなくなってしまう。本を読んでいると邪魔は入るものだし、そうでなくてもいつかは顔を上げて、日々の生活に戻っていかなくてはいけない。

それでも、エレーヌの毎日がまるっきり精彩を欠いているわけではなくて、春の暖かい日にひとりで歩いて下校するうちに彼女の表情が明るくなっていく過程や、広場のベンチに腰かけたときの母親とエレーヌが、ふと肩から荷を下ろしたような表情になる一瞬が、とても印象的に描かれている。だから安心していい、これは、エレーヌの苦しみだけを主題にした物語ではないのだ。

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夏休みの前、エレーヌは合宿に行くことになる。準備のために、母と出かけた店の試着室で水着を着ると、彼女は「ソーセージがバレリーナになったみたい」な自分を見る。こんなふうに、エレーヌが自分を傷つけるときには、他人に言われた言葉をつかってしまう。合宿で過ごす時間もそんな言葉でいっぱいで、バスでの移動中、エレーヌは集中できなくても、本に目を落としつづける。テントの班分けも、キャンプファイヤーも、自分を傷つけるきっかけでしかないように思える。

ところがキャンプ最後の夜、ジェラルディーヌという少女が、エレーヌたちのテントに移ってくる。ジェラルディーヌは、元いたテントの居心地が悪かったことを「なにげなさそうに、肩をすくめて」説明する。

このジェラルディーヌとの出会いは、世界には幸運があらかじめ備わっているのではないか、と思わせるような出来事だ。なにより彼女は、エレーヌと一緒に過ごすのをただただ楽しんでいるように見える。エレーヌがまさに、いま、ここに、だれかにいてほしいと願っていたことなど、まったく気づいていないようなジェラルディーヌの佇まいは、だれの計らいでもない、思いがけない巡り合わせを、つよく感じさせる。

夏休みに入るころ、エレーヌは『ジェーン・エア』を読み終える。その希望に満ちた結末が彼女にとって絵空事だと思えなかったのは、本じたいがよく書けている小説だったというだけでなく、エレーヌ自身が、小説が示した世界の印象を、学校での、家での、キャンプ場での日々を通じて、実際に生きたからだ。彼女にとって本はもう、学校や家での生活とつながりの断たれた、壊れやすい避難所ではなくなっている。

夏休みを迎える彼女の生活を切り取った最後の数ページは、黒と白のグラデーションで描かれた風景のところどころに、他の色がつき、混じりあっている。『ジェーンとキツネとわたし』の世界は、はじめこそ現実と空想とが区別されていたけれど、エレーヌとともに、もっと複雑なゆらぎのある場所に変わっていった。エレーヌが歩きながら、ふたつの世界をつくりだしていた見えない境界を消していく、その様子がここでは、水彩を重ねて淡く描かれている。彼女もはじめは、読んでいる本が自分の生きる風景を塗りかえる助けになるなんて、思っていなかっただろう。

『ジェーンとキツネとわたし』の結末は曖昧で、開かれている。つまり、エレーヌの身にはこれからどんなことも起こりうるし、不安が去っていくわけでもない。でも彼女をとりまく風景は変わって、その変化のために、エレーヌは微笑んでいる。

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では、キツネは? キツネは本のなかに三度あらわれるけれど、最初の登場はもしかしたら、見逃す人もいるかもしれない。それくらいさりげなく潜んでいるからだ。もし一度目の読書で見逃していたら、探して、もう一度読んでほしい。そうすれば、二度目と三度目にキツネがあらわれたときに響いてくるものが変わってくるし、このキツネが、エレーヌのように本を読む人の守護動物(その人の生涯を通じて力を与え、危機から守ってくれる動物のこと)だったということが、分かるだろう。