2015年8月15日土曜日

#3. Jonas Mekasの映画『ライフ・オブ・ウォーホル』の、いまだ失われざる夏について

ライフ・オブ・ウォーホール [DVD]

この夏、ジョナス・メカスの映画『ライフ・オブ・ウォーホル』(1990)を、プロジェクターとスクリーンのあるところでまた見る機会に恵まれた。ジョナス・メカスの映画は、同じ作品を何度見ても、はじめて見るようにしか見られない。たとえば僕ならいつも十五分かそこらは必要で、それまではなにかと気を散らされながら見ている。でもそのあいだに映画はこちらの知覚の通路を通って入り込み、内側からパースペクティヴを変化させているらしい。数十分経つころには、なんともいえない感覚になる――撮影と録音と編集をほぼひとりで手がけたこのひとの生活と、それを見つめる見方が、気づいたらこちらにもわかっていた快感、というか。しかし一度習得すればその感覚に到達する時間が早まるというわけではない。いつも、はじめて見たときの数十分は必要で、もう25年も前の映画だといえばたしかにそうだが、この映画を見るのはつねにはじめての体験なのだ。

1944年に祖国リトアニアを脱出し、ヨーロッパの難民収容所を転々として、1949年にニューヨークに立った詩人ジョナス・メカスは、ボレックス(16ミリカメラ)を手に、身の回りのことを記録しはじめた。メカスの映画はすべて、じぶんと友人の生活をうつしたものだ。『ライフ・オブ・ウォーホル』(原題は「Scenes From The Life Of Andy Warhol(アンディ・ウォーホルの人生からの断片集)」)は、アンディ・ウォーホルの回顧展にあわせて制作された35分ほどの映画で、メカスの生活がウォーホルと触れ合った場面を中心に展開する。

冒頭は、ウォーホルがプロデュースした、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド最初期のライヴ映像である。音は、おそらくは同録の、ひずんで、くぐもった「I’ll Be Your Mirror」。バナナで有名なアルバム『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』でその曲のもっとクリーンなヴァージョンが聴ける。映画での「I’ll Be Your Mirror」は、まもなく淡々とギターノイズが鳴るジャムに移行していって、あとのサウンドトラックは終わりまでほとんどこのノイズである。





例外的に中盤で差し挟まれる曲がNitty Gritty Dirt BandによるLiving Without You」だ。そのときカメラは海岸をとらえていて、砂浜、少女と戯れる犬、岸に寄せる波とともに、この曲が流れる。「あなたなしで生きていくことを考えると、とてもつらい。孤独な日々の空っぽな気持ちに向き合うときがきている」という歌詞をもつこの曲は、もちろんアンディ・ウォーホルに宛てられていると考えることができるが、ウォーホルを追悼するという側面を脇に置いて、うつしだされる映像と曲にだけ注意を傾ければ、悼んでいるのはかれのことだけではないとわかる。記録者メカスとウォーホル、かれらを取り巻く友人や犬や砂や波、いまはもうないある日の夏の光景、その光景を成り立たせているいっさいを偲んでいるのだ。





映画を見るわれわれが目にしているわけだから、この光景はすっかり失われているわけではなく、その過去の光を感光した物質が残っている。近作『幸せな人生からの拾遺集(The Outtakes From the Life of a Happy Man)』(2012)のある箇所で、メカスはだいたい次のようなことを言っている。わたしの映画は記憶だと言われるが、これは記憶ではなくて現実だ、記憶もまた失われるけれども、思い出がなくなってもなお残るイメージ、それがこれらの映像だ、と。言い換えれば、かれの映画は、ある光景を、一度は失われなければ感じ取ることが困難なはずのニュアンスをともなって、現実に見せてくれる。





2015年のこの夏にあらためて『ライフ・オブ・ウォーホル』を見て考えるのは、まだ失われていない楽園をひとは楽園と感受できるのか、ということだ。たとえば1979年にメカスが幼い娘に宛てて撮った映画のタイトルは「いまだ失われざる楽園、あるいはウーナ3歳の年」だが、うっかりすると「Paradise not yet lost(いまだ失われざる楽園)」という言葉を、矛盾のように感じてしまう。われわれが楽園だったと感じるのは、たいてい、そこが失われてからだ。幸福は失われないとそれと分からない……。しかし、映画を通じて失われたものを見るひとが直感しているのは、「楽園はつねに失われた状態にある」という考えでは十分ではない、ということだ。

そういう考えを受け入れるだけならば、状況はずっと悪いままだろう。この映画を見る必要があると感じたひとは、きっと、過去か未来にしか楽園がないという考え方がもたらす日々のままならなさを感じている。一方、映画が指し示す楽園はいま、ここにある楽園にほかならない。もし、そんなものを見出すことはできない、という考えが支配的になって、そこを立ち去らざるをえなくなれば、この映画は、つぎに目指す場所の素晴らしさを語る言葉ではなく、離れがたさを語る言葉のほうに耳を傾けるよう、うながすだろう。

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イギリスに生まれ、1990年にニューヨークに移り住み、ブラック・リップスという前衛演劇グループに属し、1995年にアントニー&ザ・ジョンソンズというバンドを率いて音楽活動をはじめ、ルー・リードや小野洋子らと交流し、2005年にリリースされた2枚目のアルバム『I Am A Bird Now』のジャケットにヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲「Candy Says」にその名が出てくるキャンディ・ダーリンの写真をあしらった……アントニー・ヘガティというシンガーは、この経歴からわかるように、ニューヨークの「アンダーグラウンド」な芸術の系譜につらなるアーティストだ。舞踏家・大野一雄の写真がジャケットになったアルバム『The Crying Light』2009)に収録されたシングル「Another World」で、アントニーは、地球にいながらにしてそこを後にしつつあるわれわれになって歌い、未来形をつかって現在の世界を捉えなおしている。

Crying Light

「ここではない場所にいかなくてはいけない/そこに平穏はあるだろうか/ここではない世界にいかなくてはいけない/ここはほとんど失われつつある/(…)/海が恋しくなるだろう/雪が恋しくなるだろう/ミツバチが恋しくなるだろう/生まれ育つものが恋しくなるだろう/木々が恋しくなるだろう/太陽が恋しくなるだろう/(…)/風が恋しくなるだろう/風はずっとわたしに口づけしてくれていた」
——「Another World」